YO-SUKEです。
私はアトピーと付き合い始めて
もう30年以上になりますが
未だに、完治はしていません。
今は症状が落ち着いていますが
季節の変わり目、ストレス、生活習慣の乱れで、すぐに再発します。
これからもアトピーさん…お世話になります。
大人しくしといてください。
今でこそ、上手にアトピーとお付き合い出来ていますが
幼い時はどれだけ苦しめられたことか…
「アトピー」とは何ぞやという方はこちらもどうぞ。
今回は、そんなおぢの
身も心も荒れていた、幼かった頃のアトピーのお話しです。
親を悲しませた幼少期
私は幼少期からアトピーが出ていました。
酷かった箇所は「首」「肘の裏」「膝の裏」等
皮膚の柔らかいところが特に酷くでていて
掻き壊した箇所は傷になり、腕や足を伸ばすと痛みがでていました。
まだ周りの目を気にしていなかった私は
アトピーはただ「汗をかいたら痒くなるだけ」
その程度の認識だったと思います。
親は、色々とアトピーの対策をしてくれていましたが
昔は、アトピーの情報自体が
そんなに無かったんじゃないかなと思います。
それが合っていたのか、どうなのか…
痒みが酷くなれば、お医者さんに診てもらい
処方してもらった痒み止め(ステロイド)を
只々、塗って痒みを抑える日々。
「アトピー」と「喘息」も持っていたので
友達と走り回ったり、運動する度に
「汗かいたら痒くなるよ」「苦しくなるよ」
とうるさく言われ、思うように遊ぶことが出来ず
ストレスを感じていました。
私「この体、大きくなったら治る?」
母「…きっと良くなるよ」
私「汗かいたら痒くなるからアトピー嫌だ」
母「…」
私「なんで俺だけなの?」
母「ごめんね…」
知らず知らずのうちに
親を悲しませるように、責めるように、文句を言っていました。
親を恨んだ学生時代
治らないまま年月は経ち、反抗期、思春期になると
荒れに荒れていく、自分の体に嫌気がさしていました。
痒くて、痛くて、肌を見て嫌になって、周りの目が気になったりと。
当時の状態は、酷い時だと
痒くて眠れなかったり…
浸出液で衣類がべちゃべちゃになったり…
落屑で床が真っ白になっていたり…
酷くなったり、回復したりを繰り返していました。
「誰も気にしてないから」「痒いだけでしょ」と
学校を休むことは許されず、隠しながら登校していました。
「どれだけ痒いか、見られることがツラいか、お前にはわからない」
「なんで俺だけ…もう死にたい」と言ってみたり
自分の状態にイライラして物に当たり散らかしたり…
と悪態をつく日々。
今思えば、本当に酷かったと思います。
一番、酷かったやり取りは
私「何でこんな体で産んだのよ」
親「私だってそんな可哀想な体で産みたくなかった」
私「俺なんか産まなきゃよかったしょ。殺してくれ」
誰が悪いわけでもないのも理解していた。
自分のツラさを分かってほしいだけなのに。
母は泣いていました…今でも言った事を後悔しています。
その後は、学校には行きつつも、私生活も荒れていき
「どうせこの体じゃ…」と、どうでもよくなり、投げやり状態でした。
肌の荒れ=心の荒れ
肌が荒れると心もどんどん荒れていきます。
自分だけ不幸だと閉じこもってみたり。
イライラして攻撃的になったり。
そして心が荒れると肌にも悪影響を及ぼします。
諦めてまともに治療と向き合えなくなったり。
イライラして強く掻き壊してしまったり。
親は、子供が可哀想でも代わってあげる事は出来ません。
炎症が酷くなった原因は何なのか。
衣類、食事などの影響なのか。ストレスからなのか。
知識と理解で根本から支えてあげて
ゆっくりと、治療する時間を与えてあげてください。
子供も、自分の体は、自分が一番わかっているはずです。
これをしたから痒くなっただとか。
傷をつけないようどうすれば良いのか。
自分の体の事を考えることを優先して
先の事を不安に思うよりも「今」の体と向き合ってください。
しっかりと冷静にアトピーと向き合う為には
励ましや、慰めも良いですが
親も子も、アトピーに対する理解を深めていき
協力し合っていくことが大事だと思います。
あとがき
私自身、後悔しているのが
幼い頃は、アトピーから逃げていたという事です。
アトピーや自分の体に対して、考えようともせず
ただ症状が酷くなれば、親のせいにしてしまっていた事。
アトピーの痕のように、心にずっと残ります。
今、アトピーで苦しんでいる方は
逃げて、長引かせても、良いことはありません。
後悔の無いよう、しっかり向き合って上手に付き合っていきましょう。
周りの方も「アトピーって大変なんだな」くらいでもいいです。
少しでも理解して頂ければ、救われます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様応援いただければ幸いです!